道端の、よくある、答えのない問い

スリランカ人の仲間と買い物。
小腹がすいて、近くのモールの屋台で、
ココナッツジュースと焼きそば。
200円ちょっと。

 

青いシャツを着た、
10歳ぐらいのこどもが、
話しかけてくる。
(以下はフェースブック記事より抜粋。
ここのところ近況報告は、FBでやってます!

 

何を言っているのか、分からないんだけど、
明らかに、物乞いをしてくる。

 

一般的には、
「何かをあげたところで、彼らのためにならない」
「むしろあげちゃいけない」

といわれている。

 

僕も基本的にはそう思っていて、
だから、居心地悪さと共に、
無視を決め込むけど、
今回の彼は、あきらめようとしない。

 

か細い声で話しかけつづけ、
そのうちに、僕の腕や、わき腹を、
指先で、弱弱しくつついてくる。

痺れを切らした仲間が、
「じゃあ買ってやろう」っていって、
何が欲しいかをきいたら、
食べ物ではなく、ココナッツジュース。

 

その後しばらくして、
僕が居ない間に、
また仲間に、物乞いに来る。

 

・・・

 

仲間と帰りながら、
「ああいうの、どうすればいいんだろうね」って話し合う。

無力さ、惨めさを演出する彼に、
ここで何かを買ってあげたら、
彼は、人に依存することを学ぶ。

 

今回の彼については、
肉体的にも、知的にも、
何かチャレンジがあるようには見えない。

 

飢えてるのなら、
ジュースではなくて、
別の食べ物を欲しがるはずだし。

 

だからって、働けって言たって、
彼が働き出す可能性は低そうだし、
ほかの働いている子どもたちとは別の、
物乞いという手段を選んだ経緯があるはずで、

 

もしかしたら親を亡くしたのかもしれないし、
なにか、酷く勇気をくじかれたのかもしれないし、

 

僕は彼の年のころは、
小学生してたけど。

 

あのときの僕が例えば、
親を亡くして、親戚にも見捨てられたら、
どうなってたかわかんない。

 

どこかの自己啓発書で呼んだみたいに、

僕が一言や、何か本を与えて、あるいはセミナーに呼んで、
彼の人生が劇的に変わる!
みたいなことが、簡単におきるわけでもなさそう。

 

無力感というか、
なんともいえない後ろめたさを感じる、
なんともいえない気持ち。

 

こういうことは、
途上国、といわれる場所に居る限り、
かなりしっかり味わうことになるはずで、

 

今までだって結構味わってきてて、
日本にだって実はあって、
そして答えが出ないであろうことも知っている。

 

でもやっぱり、僕はコーチで、
人が前に向かって進むことを応援する存在で、
だから彼に何もできなかったことは、悔しい。

 

ああやって、いやな表情をして、
無視をすることが、
本当にしたいことだったかというとそうじゃない。

 

だからといって何かを恵むのだって違う。
どうすればよかったんだろうなって、
かれこれ50時間、
ふっと思い出しては、
そのことを考えています。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です